ドイツ政治研究の草分けでいらっしゃる坪郷 實教授にドイツにおける脱原発の決定と再生可能エネルギーをめぐる動向について論考をお寄せいただきました。前編はドイツが脱原発を含むエネルギー政策をどのように決定したのかお届けします。
編集: 学生インターン 村尾宏明
ドイツにおける脱原発の決定と再生可能エネルギーの促進 (前編)
早稲田大学 社会科学部・社会科学総合学術院教授 坪郷 實
1 ドイツのエネルギー政策を見る視点
ドイツのエネルギー政策における3つのキーワードは、気候保護政策、脱原発、再生可能エネルギーの促進政策である。このエネルギー政策を見ていく4つの重要な観点がある。第1に、巨大技術や大規模公共事業に伴うリスクの観点であり、これは「リスク社会(U・ベック)」論、「システム・リスク」論と深化してきた。第2に、1970年代からの反原子力運動という新しい社会運動(市民運動)の影響力である。この新しい社会運動から緑の党が生まれ、西ドイツ期から統一ドイツ期を通じて政党システムに定着している。第3に、ヨーロッパ統合の進展の中で、ヨーロッパ連合と加盟国のエネルギー政策の統合化、共通政策化が進んでいる。第4に、1998年の政権交代で生まれたシュレーダー「赤と緑」の連立政権のもとで、エネルギー政策と環境政策の統合が行われ、環境関連のイノベーションによる新しい産業政策を展開する第三次産業革命の時代を迎えている。
ドイツのエネルギー政策は、気候保護(温室効果ガスの削減)と脱原発を実現するためのエネルギー政策へと転換している。本稿では、ドイツにおける脱原発の政治的決定と再生可能エネルギーの促進について、若干の論点について述べたい。
2 脱原発の政治的決定
さて、1986年のチェルノブィリ原発事故の直後に、当時、野党であった社会民主党(SPD)は、「脱原発が10年以内に可能であるというシナリオ」を描き、党大会で決定した。SPDは1970年代に政権の座にあり、その時期に原発推進路線を取っていたが、方針転換を行ったのである。1998年連邦議会選挙において、この社会民主党と90年同盟・緑の党(緑の党と略)によるシュレーダー連立政権が誕生した。緑の党は、もちろん結党時から脱原発を掲げていた。
政権発足前に締結された連立協定の中に、「脱原発を実現する3段階シナリオ」が規定され、政権発足後、新しいエネルギー政策を策定し、脱原発を実現するために、電力会社との合意形成を行った。この合意には、2年かかったが、2000年6月に合意し、2002年に脱原発のための法律が可決された。この時、原発の稼働年数を32年とし、2018~2021年に脱原発を行う予定であった。
今回2011年3月11日の東日本大震災により、福島第一原発で事故が発生した。その直後、メルケル保守リベラル政権は、いち早く政治的動きを始めた。メルケル首相は、まず、2010年秋に決めたばかりの原発延長法を3カ月間凍結し、7基の古い原発を停止させた。そして、一方で、環境省に置かれている原子炉安全委員会による安全性の検証をすべての原発で行うことを決め、他方で、今後の方針を決めるために、ドイツにおける核エネルギーのリスクを新しく評価するための委員会、「安全なエネルギー供給のための倫理委員会」を設置した。この委員会には、原子力の専門家は入らず、リスク社会論を展開している社会学者ベック、宗教家、政治家、企業家等により構成された。うしたいち早い反応は、3月27日のバーデン=ヴュルテンベルク州の州議会選挙などが迫っていたからでもあった。しかし、この州では選挙の結果、従来第3党の緑の党が第2党に躍進して、第3党に後退した社会民主党との連立政権が誕生し、初めて緑の党の州首相が生まれた。
5月17日に、まず原子炉安全委員会が、安全性の再検証の結果を公表した。つぎに、先の倫理委員会は、5月30日に報告書を提出し、フクシマ原発事故が日本のような高度技術国で起こったことにより、「原発大事故というリスクが具体的に起こりうる」という意味でリスク認識を変えたこと、リスクの少ないこれに代わる技術があること、脱原発を産業や経済立地の競争力を危険にしないように設計することが可能であること、さらに、核廃棄物の処理と放射能の影響は何世代にもわたるものであること、などを指摘する。そして、「10年以内に」「段階的に脱原発を行う」ことを提言した。これを受けて、メルケル政権は同日に、「2022年までの脱原発と再生可能エネルギーの体系的な構築」という観点から具体的な提案を行い、6月6日に最終的にエネルギー転換のための閣議決定を行った。6月30日連邦議会を、7月8日連邦参議院を通過し、脱原発の法律が成立した。
福島第一原発の事故からわずか4カ月という短期間で、脱原発の政治的決定が行われたが、すでにシュレーダー政権期の脱原発の決定により、新しいエネルギー政策が動き出していたことが大きい。メルケルの脱原発の決定は、6か月前の原発の稼働期間を延長するという決定を撤回し、シュレーダー政権期の脱原発の時期に立ち戻るというものであった。たとえば、原発延長法が成立する前に、連邦環境庁という環境政策の専門機関は、『エネルギー目標2050』(2010年7月)を提出し、現存の技術によって2050年には電力の100%を再生可能エネルギーで賄うことが可能であると報告している。さらに、倫理委員会の報告書が提出される直前に、『ドイツにおける電力供給の再構築』(2011年5月)という報告書を出し、より早期の2017年に脱原発が可能であると述べている。このように、一方で、メルケルにより原発延長法が決定されると共に、他方では、メルケルも主張しているように「再生可能エネルギーの時代」に向けてすでに走り出していたのである。
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参照文献
坪郷實『環境政策の政治学――ドイツと日本』(早稲田大学出版部、2009年);
坪郷實「ドイツにおける環境ガバナンスと統合的環境政策」長峯純一編『比較環境ガバナンス――政策形成と制度改革の方向性』(ミネルヴァ書房、2011年)など。
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